谷中安規書簡 <恩地孝四郎宛>入荷

ノート用紙2枚のそれぞれ表裏にペンで書かれる 内容佳

谷中安規の重要資料

内容一部紹介

〇「私が戦災者となりましたのは昨年四月十三日夜半 やけだされて別だん途方にくれたと言ふ程でもありませんでしたが、ひとまづ都をちを仕様と思って…」で始まる。「今日は総選挙の当日、只今瀧野川区役所へ当票にまいり帰宅…」とある。戦後最初の総選挙が行われたのは4月10日。一方で「この手紙をしたためましてからモウ三週間以上の時日たち候<中略>四月二十三日 夜半」とあるので、いったん書き終えてからも加筆がされた事がわかる。最後は「春うららキガ線上を彷徨しつつもタネマキいたしおり候 不乙 四月二十三日夜半」と結ばれる。戦災者となり、自ら建てた掘建小屋での暮らしをしのぎ、「人生五十才シンキまきなほし、小ッポケな車輪ながら廻轉させていただこうと存じます」と記した安規は、同年9月9日に小屋で死去しているのを発見される。

 

瑛九のフォトデッサンをお譲りいただきました

瑛九の没後、その作品を写真家の細江英公撮影によって限定55点で撮影されたものです。今回はフォトデッサン3点、銅版画2点、リトグラフ1点をお譲りいただきました。ありがとうございました。※画像作品のタイトルは「芝居」です。

※フォトデッサン3点はすべて売り切れとなりました。ありがとうございます。

JAPAN:THE NATION IN PANORAMA(日本) 

1938年、国際文化振興会が陸海軍、外務省等の事変関係費によって刊行

制作:日本工房 構成:熊田五郎

35曲70面の折本のモンタージュ写真帖

写真は名取洋之助、木村伊兵衛、堀野正雄、渡辺義雄、坂本万七、土門拳、藤本四八、安河内治一郎、岡田紅陽、溝口宗博、田辺譲ほか

補修済 65万

『七爺八爺』『七娘媽生』再入荷しました

著者は黄氏鳳姿、挿絵や表紙に立石鉄臣が関わった

『七爺八爺』『七娘媽生』が再入荷しました。黄氏鳳姿は台北の龍山公学校の生徒で、後に教師であった池田敏雄と結婚する。

※『七娘媽生』は売切れました。ありがとうございます。

新年明けましておめでとうございます

浪花贅六庵(本名 善三)宛の年賀状スクラップです。大正14,15年のもの。三宅吉之助、田中緑紅、須知善一、河村すの子(河村目呂二の妻)、小西一四三、中西竹山、杉浦丘園、有坂与太郎ほか京都、関西の趣味人多し。宛先はほとんどが「ナニワ子供洋品店」宛。全284枚。一部に宛名の無いものや、善三本人の葉書含む。価格100000円。

楊三郎[Yang San-lang]油彩画額

油彩  6号  右下に「s.yang」

※額の右部分に欠損あり

東京美術学校出身の台湾人画家が多い中で、楊は京都市立美術工藝学校、関西美術院で学ぶ。1932年にはフランスへ渡り、サロン・ドートンヌで入選する。第12回春陽会展覧会では滞仏期の作品8点が展示された。1934年には陳澄波、李梅樹、顔水龍、立石鐵臣、李石樵、廖継春、陳清汾と共に台陽美術協会を設立した。

 

日本航空輸送株式会社発行「定期航空路地図」2種

日本航空輸送株式会社の定期航空路地図が2点入荷しました。「福岡-台北」、「福岡-京城」の2点。同社は1928年から1938年まで存在した航空会社で、現在の日本航空とは無関係です。「福岡-台北」の方に旧蔵者による若干の書入がありますが、状態はおおむね良好です。

 

台湾の観光案内をお譲りいただきました

お客様より大阪商船や近海郵船ほか状態のいい観光案内や地図をお譲りいただきました。ありがとうございます。戦前台灣で暮らされていた方や、お仕事でアジア各地を行き来されていた方の残された資料や書籍ございませんか?まずはお気軽にお問い合わせ下さい。

立石鐡臣色紙

芥子の花でしょうか。立石鐡臣の色紙が入荷しました。どこか幻想的な雰囲気です。右下に「鉄臣」と印。裏にも墨筆で「立石鉄臣」とあります。戦後、台湾から帰国後の作品かもしれません。

在清国廈門領事 上野専一照片

清国廈門領事を務めた上野専一の台紙添付写真。

裏に「中村仁兄 恵存  上野専一」とある。中村とは初代海防領事等を務めた中村修のこと。余談だが俳人中村草田男は修の長男である。写真は明治30年代のものと思われる。