「臺灣風土記」入荷しました

昭和15年 限定75部 日孝山房(媽祖書房の後身) 1~4輯の揃 袋付

立石鐡臣、宮田彌太郎、池田敏雄、神田喜一郎、石田道雄、新垣宏一ほか。

「台湾詩人協会」が発展解消され設立された「台湾文芸家協会」の関係者の寄稿多し。 

ご注文ありがとうございました

石川欽一郎写真帖は台湾のお客様にお買い上げ頂きました。ありがとうございました。

台湾その他、植民地美術資料を探しています。買取査定もいたしますので、何かございましたらご相談下さい。

黄鳳姿「七爺八爺」が再入荷しました

売り切れとなっていました黄鳳姿著の「七爺八爺」が再入荷しました。西川満の序文、後に夫となる池田敏雄のあとがき、表紙、挿絵は湾生画家の立石鐡臣。発行は昭和15年。立石鐡臣は前年に台北帝大教授の素木得一に招かれ渡台し、終戦後の昭和23年に最終引揚船で帰国している。

※台湾に関する歴史、文学、美術資料をお持ちではありませんか。ご家族や親戚、ご友人でこれらの資料や書籍、写真等をお持ちの方はいませんか。ご処分・御整理の際は「やすだ書店」へお声掛けください。

石川欽一郎と陳植棋

古書の市場で「石川滋彦旧蔵資料」と書かれた出品物を目にした。資料と言ってもバッハやショパンの洋書の楽譜と一緒に一冊のアルバムがあるだけのものだった。アルバムを開いてみると父親である石川欽一郎が写る写真が多数貼り込んである。「これは絶対に欲しい!」と心中では興奮しながらも、落札できるかどうかヒヤヒヤしていた。結果は私一人が興奮していたようで下札(一番安い入札金額)で落札された。今さら言うまでもないが、滋彦の父石川欽一郎は台湾洋画史を語る上で欠かすことのできない人物で、第一世代の台湾画家たちの啓蒙者である。画像はそのアルバムからの一枚で、前列の黒い蝶ネクタイの人物が石川欽一郎、その右の浅黒く面長の人物は台湾洋画を代表する画家、陳植棋である。場所はおそらく台湾のどこかだろう。左の人物は倪蒋懐、右端は藍蔭鼎にも見えるが判然としない。石川を囲む食事会のような雰囲気が感じられるこの写真は何時撮られたのだろうか。陳植棋は東京美術学校留学・卒業後、1931年に台湾で早逝する。石川は24~32年は台北師範学校へ勤務している。テーブルを囲み何が話されたのか・・・興味が尽きない。

【買取品よりご紹介】宇都宮誠太郎宛の年賀状53通

大正5~8年 宇都宮は武田五一に学んだ建築・図案家 ほぼ木版

誠太郎の他に成蹊、安信、英太郎宛含む。成蹊は誠太郎の号だろうか。戸島光孚、島田貞彦、平井楳仙、千熊章禄、明石國助、千種掃雲、武間之男、山鹿清華、霜田卯八、江馬務、間部時雄、澤部清五郎、松本儀八、向井寛三郎、福田翠光、福井亀代治、宮本儀助、北室誠一郎、橋口信助(あめりか屋)、羽柴忠弘、北織喜三郎、東田四作、平井右平、谷岡安三郎、能勢丑三、成美堂ほか。

ご自宅や倉庫物置などに誰かの蔵書やコレクションが眠ったままになっていませんか。買取・御整理は「やすだ書店」にお申し付けください。大量の場合は出張買取も致します。まずはお気軽にご相談ください。

ウジェーヌ・アジェのオリジナルプリント

ウジェーヌ・アジェのオリジナルプリント「Hotel Louis XV」入荷しました。鶏卵紙のアジェ本人によるプリントで、1890〜1910年以前のものです。裏には場所と整理番号の書入があります。この書入の文字もアジェ本人による可能性がありますが、アジェの筆跡に関する情報が少ない為確定はいたしません。サイズ21×17㌢。

今年3度目の熱海への買取

27日、今年3度目の熱海への買取。場所は起雲閣も近い昭和町。
依頼主は大学で音楽教育を教えた方で、近く同じ熱海市内に引越しをするので、この際に蔵書を処分したいとのことだった。
冊数はざっと1000冊ほど。エレベーターのない5階だったが、この量ならば特に問題なく搬出を終えることができた。
作業終了後、百歳を迎えた大叔父宅へお祝いの挨拶へ向かう。百歳と九十歳の夫婦はまだまだ元気である。
近所の来宮神社はもはや完全な観光スポット。私が子供のころは静かな場所だったけれど。
※画像は熱海では知られた洋食屋さん「スコット」。お昼はここでとも思ったが、結局近くの「わんたんや」へ。とてもおいしい中華そば。

「現代画廊の案内状–洲之内徹からの便り」

銀座の奥野ビル内にある中松商店「現代画廊の案内状–洲之内徹からの便り」の展示へ。中松商店のことは数年前にえびな書店さんからDMを見せられ知った。展示品の中に小さな抽象画がある。誰の作品かと思うと、洲之内が長年使ったカッターマットで、額の裏板を代用したものらしい。刻まれた刃の跡が美しい。しばらく話した後で中松氏が「見せたい物がある」と出したのは、額装された吉村順三自製の年賀状だった。とてもいい。中松商店を訪れる楽しみは、こんなところにもある。

長谷川利行展

もう半年ほど前になるが、長谷川利行の展覧会が開かれた。利行の作品をまとめて見るのは、平成12年の東京ステーションギャラリーでの展示以来で、その間新たに見つかった作品なども加わり、充実した内容だった。図録の表紙にも使われた1932年の作品「水泳場」などは、カラッとした夏の日差しを感じる気持ちのいい作品だった。

この図録で少し気になる文章があった。解説執筆者の一人の原田光氏が「隅田川、荒川」の中で、「藤牧義夫が、自殺の少し前に描いた・・」と書いている。失踪や行方不明でなく、「自殺」である。藤牧は小野忠重に会った後に失踪したと理解していたのでハッとした。藤牧の最後を自殺とする新資料の発見があったのか・・・どこかモヤモヤしている。

「第35回 銀座 古書の市」 美術書画・書籍コレクション

2019年1月16日(水)~21日(月)、銀座松屋8階で開催される「第35回 銀座 古書の市」のポスターが出来上がりました。当店も今回がで5回目の参加です。来週には参加16店舗による合同目録も完成する予定です。他の参加店は、あがたの森書房・安土堂書店・五十嵐書店・芸林荘・公文堂書店・古書日月堂・木挽堂書店・書苑よしむら・徳尾書店・鳥海書房・中島古書店・原書房・フロイス堂・文生書院・八木屋書店という顔ぶれです。どうか会場まで足をお運びください。お待ちしております。

四度目の台湾へ

12月5~9日の日程で台湾へ行ってきました。飛行機で4時間→高雄→台中で2泊、そして台南です。2016年に初めて訪れ、今回で4度目の台湾。夜は少しひんやりするものの、昼間は26,7度なので、徒歩で散策することの多い私達にはちょうど良い気候です。台南で見ておきたかった場所の一つが、画像の「酔仙閣」です。車のある建物がそれですが、1920年に台南を訪れた佐藤春夫が、著書『女誡扇綺譚』に登場させ、自らも訪れた酒楼(料亭)です。場所は水仙宮近くの賑やかな場所を少し入った路地にあります。今の建物が当時の状態をどの程度留めているのかはわかりませんが・・・・。

※古本屋もいくつか回りましたが、雑誌、参考書、漫画等が多い印象。いわゆる「黒っぽい」書籍はありませんでした。

 

天野健太郎氏の翻訳書籍

台湾文学翻訳家の天野健太郎氏が亡くなった。最近では呉明益の「自転車泥棒」を翻訳し、虎ノ門の台湾文化センターでの著者を交えた出版記念トークイベントが控えていた。画像は私が持っている同氏翻訳の書籍3冊。実際にお見かけしたのは一度だけで、今年3月の文化センターでのイベント(老屋顔の辛永勝、楊朝景)だった。てきぱきと通訳をこなす姿を覚えている。仕事への情熱を感じる方だった。それだけにその訃報にはきょとんとしてしまい、すぐに信じることが出来なかった。天野氏にしかできない仕事もこの先たくさんあったろう。ままならない人生だったと言えば簡単だけれど、彼の仕事、翻訳作品をこの先見ることが出来ないのは、ここ数年盛り上がる台湾への関心の高さを考えると残念でならない。

京城の村上写真館撮影写真

明治40年、当時の嘉仁親王(後の大正天皇)が大韓帝国を訪れた際に撮影された大版写真。有栖川宮威仁親王、皇太子・李垠や初代統監の伊藤博文らと共に景福宮内の慶会楼にて。撮影は村上天真の村上写真館。

「華麗島民話集」 限定五百部 西川満・池田敏雄 日孝山房

発行:昭和17年

箱の背に補修と署名書入

装画と挿画は立石鐡臣

立石は台北生まれの洋画家。父は総督府財務局事務官、後に台湾瓦斯専務となる立石義雄。8歳の時に父親の転勤により内地へ戻るが、昭和8年、国画会会友となった時に渡台する。これは梅原龍三郎の勧めと言われる。この頃に西川満との親交もはじまり、西川の限定本の挿画・装丁に携わるようになる、台湾へは43歳までに三度計11年滞在した。近年立石鐡臣の活動研究・再評価が進み、2015年には銀座泰明画廊で「生誕110周年 立石鐡臣展」、2016年には府中市美術館で「麗しき故郷『台湾』に捧ぐ-立石鐵臣展」が開催された。またドキュメンタリー作品「灣生畫家 立石鐵臣」(監督:郭亮吟・藤田修平)などもある。

Tosari Studioの写真絵葉書

インドネシアでTosari Studioを営業した佐竹捨三郎作成の写真絵葉書。戦前の東南アジアで活動した日本人写真師のひとり。下部余白にスタジオ名が印刷されている。インドネシアは最も日本人写真師が活動した地域のようで、佐竹は現地で写真集を発行している。